野心で語れ! 「Kanon」考察
…だったが「ONE」も語るぞ(汗)
AIRも語るかもしれない(滝汗)
−−−「Kanon」な日々・総集編−−−
Since1999.6.4
公開1999.9.10,最終更新2000.7.5(2001.6.17体裁変更)
 前作ONEより一年の時を経て、ようやく発売されたKanon
 私は芳名簿にその経過を記しており、また途中怪しげな考察部屋を設けて抹消するなど、既に様々発言をしている(隠し部屋にまとめたが、見ない方がいいだろう)。
 ここでそれらをまとめてみたいと思うが、当面は行き当たりばったりに進めることになろう(苦笑)

「シナリオの素晴らしさ」の内実へ

全年齢版発売を前に思うこと

誰かの死を契機とする理解状況

AIRデモから妄想

この先はAIR考察部屋にて続行。
ONE・Kanonも継続的に取り上げる予定。


 言うまでもないが、全面的にネタばれしているので、その旨考慮の上どうぞ。



 

「シナリオの素晴らしさ」の内実へ
       −各シナリオ論評−1999.9.10

 「ONE」の中で人気が高いキャラは里村茜と川名みさきであった。そしてこの二人(と澪)のシナリオが久弥直樹氏の担当であることから、メインの麻枝准氏より人気があったのも紛れもない事実である。
 さて、「Kanon」は初めて久弥氏がメインとなって作られたゲームだ。さあ、それではこのゲームは期待に応える内容となっただろうか?

 「Kanon」はしかし、実際には久弥・麻枝両者のシナリオが余り融合することなくそれぞれの世界を作り出している。そして久弥系(名雪・あゆ・栞)が全体で「ちびあゆ」中心の世界を構成するのに対して、麻枝系(真琴・舞)はあゆとも関わらず、それぞれも完全に独立している。舞は唯一選択次第では出会うことのない存在でもある。

 さて、それではそれぞれのシナリオを評価してみよう。
 まず、久弥側。
 シナリオは、本来ならその存在意義を問われかねない内容。なぜなら、不治の病となったという栞が抱える問題に、主人公は全く関わらないからだ。つまり、主人公はたまたま会ったに過ぎないのだ。
 その弱さを補完するのがあゆとの関係だった。シナリオ中では何となく病床のあゆと栞が知り合いであった雰囲気があった。そしてあゆの「最後の願い」で栞が生きること。
 ……それでも、厳しく言えばやはり主人公とは関係のない所で話が進んでいる。だいいち、重要な点が一つ。このシナリオでは「願い」を叶えるべき主人公が人形のことを思い出していない。従って、あゆが自らの命と引き換えに、単独で栞を救ったとしか捉えることが出来ないのだ。
 脇役の香里が活躍出来なかった点も減点要素。栞がキャラとして魅力がないとは言わないが、残念ながら内容で評価することは難しい。

 名雪は幼なじみで、主人公をある意味最もよく知る者だ。が、やはりシナリオは薄く、余り評価出来ない。
 この話でも最大の欠点は主人公の当事者意識の薄さだろう。母秋子の事故は、それまでのストーリーとは脈絡がない。言葉が悪いが、ヤマを迎えることの出来ないストーリーに無理矢理付けた転機である。
 従って、奇跡の必然性も弱い。確かに二人は秋子の回復を念じただろうが、ごく一般の交通事故に奇跡が起きるというのは不自然な印象を受ける。
 これ以上は不満が並ぶだけなので止めておこう。ちなみに、キャラとして魅力がなかったわけではないことは補足しておく。

 さて、実質メインのシナリオである、あゆ。上記二人に比べれば話はよく出来ていると言えよう(逆に言えば、無理にあゆと結び付けようとしたことが、上記シナリオの問題でもある)。
 「夢」「奇跡」がこのシナリオのキーワード。しかし、どちらも余りひねりがないようだ。

 あゆの登場する世界。それは、主人公が自ら覆い隠した過去の事件をきっかけに二人の思念によって現れたものと考えられる。ありていに言えば、それは主人公の心の傷を癒すための妄想である。
 だが、次第に隠された世界は顔を覗かせる。なぜなら、夢は覚めるものだから。ここで夢と現実ははっきり二元論を構成している。……もっとも、癒しとは「あちらがわ」の世界によって行われるものだから、当然なのだが。
 当然ではあるが、それは世界観を陳腐なものにしてしまった。夢と現実の往還運動というのは、物語のテーマとして普遍的なもの(神話起源)で、あゆシナリオもその一変形でしかない。
 しかも、久弥シナリオに共通する問題点がここにもある。あゆの事故は偶然だったということだ。久弥氏の話はどれも、事件の脈絡がないのだ。これは奇跡を受け入れる時に多大な障害となる。

 こうして並べると、残念ながらこの三本は「ONE」と比較出来る内容ではなかったと結論せざるを得ない。そして個人的には、ここから「ONE」のシナリオも再評価を行わなければとの思いを強くした。
 例えばシナリオのラストにある主人公の述懐。あれは麻枝的世界と矛盾しているかもしれない。日常に還る、という話ではなく、日常だった世界が変容するのが本来の形ではなかろうか。
 

 ちらっと触れてしまったが、変容であって往還運動ではないこと。麻枝シナリオを語る鍵はそこにあると思う。
 真琴シナリオは、私が最も評価するもの。この話の根幹は昔話だ(雑誌インタビューで麻枝氏が「お伽噺」と称したのは興味深い)。異類婚姻譚一般というのは、神話に起源する普遍的なもので、もともとは異世界との交流から新たな力を得ることが主題である。ただし、いわゆる昔話的には、「叶わぬ恋」の物語でもある。
 麻枝氏はそこに「家族」の問題を持ち込んだ。いわゆる家父長制のそれとは違う、コミュニケーションに関する思想。それが極めて現代的なテーマであることは言うまでもない。
 そのきっかけは間違いなく主人公にあった。現代人の理想的「家族」に触れた真琴は人間に憧れ、転生する。それを主人公のと捉え、ものみの丘での「結婚式」(これまた、戸籍の問題ではないことは重要)によって贖罪を果たす。この絆が真琴を繋ぎ止めることになったのかどうか、ラストはやや曖昧だが、ピロの存在などから考えると、結婚は果たされたのではなかろうか。

 #ちなみに、個人的には美汐とのエンディングでも良かったのだが、まあこれは蛇足。

 さて、わずかな時を経て、再び真琴のいない世界となる。しかし、それは明らかに往還運動とは違う。主人公はあくまで同じ世界を生きている。違うのは、世界の深い部分を知ったかどうかという点だ。
 それをあえて唯一無比の世界を生きることだと考えれば、「ONE」の世界観と重なることになろう。
 

 正直、今更な気もするのだが、シナリオ。あんまり放り出すのも良くないし。
 最終日を迎えるまでほとんど内容が掴めないというなかなかイカス構成。と言うか、はっきり言えば前日までのシナリオはほぼ佐祐理シナリオと言っていいだろう。

 生徒会の権力争いが地元の有力者を巻き込んで展開される。佐祐理シナリオ(と呼ぼう)の根幹に舞が絡んでいるとは言い難い。確かに生徒会にとって舞は何かとけむたい存在らしいが、彼女には政治的野心がない。
 もっとも、現実の「生徒会」における権力意識なんて、その程度のモノだと言えばそうなのだが。政治家と結びついて「偉く」なろうとする、その過程においては別に舞などどうでもいい存在だ。佐祐理一人で十分だのだ。しかし、私が過去に出会ってきたつまらぬ権力志向の者たちは、実に些細なメンツにこだわっていたのも事実だ。
 それは、一言で言えば権力を持つに値しない自らの資質を常識的価値観で補おうとするものである。例えば「年上を敬う」とか、「挨拶をきちんとする」とか、それらの題目一つ一つが意味をなさないものだとは思わないが、あくまで基本は当の人物が尊敬するに値するかである。生徒会の彼は、ありきたりに過ぎるキャラだが、尊敬されない人物としてはそんなものなのかも知れない。

 脱線した気がする。しかし、あくまでこれはシナリオ自体が脱線しているのだと言い訳しよう。ちなみに分岐後の佐祐理シナリオも、権力者の子供たちの物語として続くのだが、まあ講評するほど書き込まれてはいないので保留。なお、このシナリオを麻枝氏は「クリア出来ない理由を説明するもの」と述べていた(同氏BBS)が、実際そのくらいの内容だと思う。
 舞の話をしてないが、まあ主人公との出会い、そして別離によって魔物が誕生し、それゆえ主人公の元で戦いに終止符を打つ。「ウテナではない」と企画書に書かれてたらしい(これもBBSより)ことはさておき、一応筋は通っているので及第点。
 ただし、私は超能力ネタが嫌いである。昔読んだ同名のマンガ(サンデーのやつ)を思い出すから、というのは冗談だが、根本が非現実的だとどうしてもシナリオが薄くなってしまう。非現実的な設定はこれまでの蓄積の上でしか作れないだけに、結果としてお約束な世界を抱えてしまうのだ。
 それでも、ラストの演出などは良くできている。真琴シナリオ同様、曲「残光」が非常にうまく使われている。やはり自身で作曲しただけに、曲を生かす場面作りが出来たということだろう。
 ……と、作曲者は正式には非公開だったな。まあ、ちょっと考えれば判るだろう(ついでに、よく聞けば「MOON.」の「陽のさす場所」とどことなく似ている)が。
 
 


 

全年齢版発売を前に思うこと2000.1.6

 さて、進まない考察部屋だが、理由ははっきりしている。言ってしまえば、ONEほどのめり込まなかったことと、もともと何の構成も考えていなかったことの二つに尽きる。
 まあ、後者については、一般的レビューは今更する必要がないとの判断からでもあるし、ある程度仕方のないことではないか、と言い訳もしてみよう。

 今更だが、私がONEを評価するのはあの世界観が単にこちら側とあちら側の二元論的世界ではない、極めて現代的な思想を秘めていると読みとったからだ。
 勿論、この読み方は決してONEをプレイした人々に共有されてはいない感覚だろう。むしろ、ほとんど私の真意自体理解されてないのではないかと思う。

 私はKanonで真琴シナリオを一番評価している。同じ麻枝シナリオでも、舞の場合あくまで「死と再生」の延長上にある。勿論、それが悪いと一概に言っているわけではなく、少なくとも舞の場合、「死」が医学的死亡ではないという点で評価している。
 それこそ、『日本霊異記』などに見られるように(と言うか、当然中国、あるいはインド起源)、突然の死と甦りなどというものは何ら新しくもない。『神道集』(中世の神社説話集)などの甲賀三郎のように、彼らは異世界(≠死の世界)で何者かと出会い、自らを変革して戻ってくる。民間の葬送でも一定期間甦りを待つ期間があったぐらい、それは普遍的なものだ。
 ただ、重要なのはそこで「死」の瞬間自体が神話的幻想の中になければ、我々の目は単なる西洋医学的見地でそれを凝視するしかないことだ。久弥氏のシナリオでの私はまさにそうであった。そこに「奇跡」への道筋を見出すのは楽なことではない。
 「夢」もそうだ。ONEでの男女の会話は「夢」と「現実」の二元的世界を構成しているわけではなく、おそらく村落共同体的な円環構造をなす世界と(麻枝的)「日常」である(#補論)。それは全く同じ世界の切り取り方が違うだけだと考えるべきだろう。しかし、「夢が覚める」世界は基本的に西洋医学の領域だ。
 話がそれているが、真琴シナリオはたった一つきりの世界で奇跡が起こる。それゆえ、このストーリーでは確かに祐一と美汐が成長している。自らの住む世界を捉え直し、その世界に生きることを再評価している。
 勿論異世界探訪も、結局のところ帰ってきた世界の変革を伴うのだが、「異世界」は所詮は「日常」を切り取った残り滓、つまりもともと自身が造りだした、予測可能な外部でしかないのだし、本当の意味で「日常」が変革されることはない。いわゆる「癒し」が実はオナニーでしかないように
 ONEのラストが、「えいえん」によって癒されたという話でないことは誰でも気付くだろう。真琴でもそうだ。ならば最後にわざわざ「復活」する必要などなかろう。狐は異世界の存在ではなく、彼らが存在することを含めてすべてが自分たちの生きるたった一つの世界だと二人は既に知っているのだから。
 

 しかし、この認識はそう簡単に共有されるものではないと思う。巷では今のところ真琴とあゆが高い評価のようだが、年齢層が下がるほどおそらくあゆの比率が増すのではなかろうか。
 勿論、名雪や栞と違って、一応あゆの場合「夢」という仕掛けがまずまず生かされてはいるのだし、一概には言えないことだが、結局単なる再会の物語に収束してしまいそうな危惧を覚えるのだ。
 それこそ、某マルチでもトゥルー・ラブストーリーでもいいが、引き裂かれた相手との再会、それだけの理解しかされないなら、ONEやKanon(の一部)を過小評価していると思うのだ。

 もっとも、最近偽ONEのレビューを探して読んでいるのだが、見た限りでは意外に世界を知る、成長の物語であることが理解されているようだ。勿論PC版をプレイできる年齢層の意見が多いのだろうが。
 ついでに、今でもKanonを過小評価している人は少なくないようだ。悲しい話でした、泣けましたレベルは発売直後からさんざん目にしてきたのだし。
 あんまり考えるほどの変化はないのだろうな、ととりあえず結論。しかし、とりあえず真琴の復活で騒ぐような馬鹿は減って欲しい。自分がああいう低次元のファンと並べられるのは耐えられないものがある、とさりげなく(どこが!)本音を漏らしておこう。
 
 

#補論

 吉本隆明が提示した(「共同幻想論」)ような世界観をここでは想定しているが、吉本論自体は柳田国男の「美しい村」の焼き直しに過ぎないので、知りたい人は併読するといいだろう。

 村の中心には神がいて、周りが人の住む世界、そして周縁に異界が広がるイメージ。共同生活をおくるために自分たちの世界を造る際には、必然的に境界を設け、異世界を排除しなければならない。ここでその境界線の根拠となるのが始祖神である。始祖神がなにかの理由でこの地を安住の地と選んだこと、その神話幻想を信じることによって成り立つからこそ、神が中心をなすことになる。
 そしてもう一つ重要な点は、この世界には一年というサイクルはあっても、歴史という概念がないこと。つまりそれは、昼と夜、春夏秋冬が毎年繰り返されるだけの円環的世界だ。ONEで言うなら、大切な人と出会う冬も、再会する冬も同じ「冬」でしかないように。逆に言えばONEは、そうした円環的世界を抜け出すストーリーであり、決して一年が「空白」というわけではない。

 なお、もともと柳田論は言うまでもなく「一国民俗学」と結びついたもので、結局の所国粋主義である。現実には沢山の村落が同時に成立し、それらの間には交通があり、常に人の流れがある。柳田的世界などもともとあり得ないのだが、それを原風景として信じさせるのが村落という共同幻想だったと考えたとき、まさに浩平が「えいえん」を創り出すことと通底することだろう。

#補論2
 ちなみに、これはONEの話だが…

 七瀬シナリオで浩平を待つ彼女は、次のような台詞を口にしている。

ついさっき、ふたりはそうして別れたんだっけね。

 七瀬は一年間待っている。それはそれで確かなのだが、一方で今は一年前の春そのものでもあるということ。
 浩平が自らの作り上げた「えいえんの世界」と「日常」の対立構造を抜け出し、本当の「輝く季節」に降り立つ。その瞬間に成長しているのは何も彼一人ではないのだと思う。
 つまり、七瀬自身も「えいえん」を生み出せる環境にあるということ。そうした世界認識を能動的に断ち切ろうとしたのが浩平だとしたら、引きずられるように自らの世界を変革したのが七瀬だったと言えるかも知れない。

 …ところで、このように述べた時、「帰る・戻る」ニュアンスが濃厚な久弥系シナリオとの隔たりは意外に大きいと言うべきなのだろう。麻枝系の場合、長森シナリオでは「戻る」と表現されている(例の人形とか)が、ラストでは特にそう記されていない。繭の場合も同様。
 久弥系では「一年間」と待つ側の成長が絡んでいない点も留意したい。麻枝系では、浩平と相手の女性がそれぞれ自己変革をなすことで、二人にとっての新たな世界を創り出す。どちらかと言えば、女性の成長→浩平の成長が時間経過としてイメージされる久弥系とでは、「輝く季節」の意味合いが違うだろう。
 まあ、別にそれ故久弥系が劣るとか言う意味では全くないが、茜シナリオが世界の根幹に迫っているという一般認識は少し検討した方がいいのは間違いない。
 
 
 


 

誰かの死を契機とする理解状況2000.5.13

 先日、私は身内を亡くした。従って現在、喪に服す意味で更新を停めている状況である。
 さて、それでここに何か書こうとするのだから、やはり月宮あゆ辺りの話題になるかと言うと、そうでもない。
 正直言って、あのシナリオには全く賛同しかねる部分がある。

 葬儀のあと、家族親族や近所の人たちで話をした。
 場所柄やはり中心は故人の思い出となる。私はそこの顔ぶれの中では若い方だし、初めて聞く話が多かった。
 参加者はそれぞれ、うすぼんやりとした故人に関する記憶を吐き出し、また得て帰った。

 このような機会が大多数の人間にとって重要であることは言うまでもない。別にONEやKanonでなかろうとも、高ぶった感情を誰かに伝えて共有することは、精神的な安静を得る一般的な手段だし、それが何かの喪失に伴うものであれば尚更である。
 ONEをやり終えた感想がネット上に散らばる現状も、プレイヤーが感じた喪失感と安堵を共有させねばならないコミュニケーションの問題故、と言えなくもない。

 …もちろんそれは、一つ間違えば「感動しろコノヤロー!」的押しつけに転化する。そうしたファンが嫌悪の対象となるのは仕方のないことである。
 ただ、そうしたファンを冷ややかに見下ろす人々のいったいどれほどが同じ間違いを犯さないと言えるだろうか。だいたい、嫌悪感を覚えることとそれを口にすることは違う。仲間探しで自分を癒すという意味では、アンチも所詮は同じ穴の狢なのだ。

 さて、ONEの持つ世界観が万人に理解されうるものであるとは到底言えない、などと今更口にするのもなんだが、そこまで至らなくともあのゲームが埋もれないだけの価値を持っている。
 プレイされた方なら既に判ってることと思うが、ONEのヒロインは思い出を共有できないまま一年間をおくらねばならない
 たとえば我々が、何か面白いと思える本やマンガやテレビ番組やゲームを与えられて、「ただし決して感想を口にするな」と足枷がついた場合を考えてみればいい。悲しい思い出であるかどうか以前に、誰にも伝えられないものを抱えながら生きるだけでも辛いのだ。

 一方、Kanonでこの問題を考えるとすれば、あゆ真琴の両名が重要と言える(舞の場合、はっきり言って祐一と舞で記憶が共有されていたというよりは、舞が一方的に重視していたように受け取れる。もちろんそうであっては拙いわけだが)。
 真琴シナリオはONEと似ているとよく言われるが、誰も彼女のことを忘れるわけではない点で全く性格は違う。はっきり言えば、記憶の共有の中で「束の間の奇跡」をそのように位置づけられる以上、真琴が帰る必要などないのだ。
 むしろ、この一件によってたとえば彼らが動物とのふれあいをやめてしまうわけではないのだし、いずれ第二第三の真琴が登場することが予期される。それが、残酷だが止まりもしなければ後戻りもしないこの世界に生きる彼ら(もしくは我々)の宿命なのだ

 あゆシナリオの場合、一度「忘れて」思い出すわけだが、これを忘却と呼ぶことは正確さを欠く。
 言ってしまえば、多重人格者が消し去りたい記憶を表に出ない人格に託しているようなものであって、忘れているわけではない。単に先送りにしている(※)だけだ。

 ※だからこそあゆは生きている必要があったのだ。

 私は今、癒されたくないと強く思っている。
 人が死ぬということは、この世界を受け入れる必須条件だ。言いたくはないが、ONEで再会した二人だって、いずれ改めて死別することになる。その未来を受け入れなければ「輝く季節」は巡って来ないのだから。
 「癒し」を現実化するおとぎ話などほしくない。

 なお、このようなつぶやきを公にすることに疑義を持たれる方もあろうから最後に一言補足しておく。
 既に麻枝シナリオが男女双方の成長を描くものだと述べたが、もう一人成長されるべき存在がいる。他ならぬ、プレイしている自身である。
 あらかじめそうした認識に達しているならともかく、そうでなければ人の生に関する、麻枝的思想を理解し、受け入れない限りあのラストは価値を持たないのだ。
 従ってこのつぶやきもあくまで私が理解した現在を示すものと考えていただきたい。


 

AIRデモから妄想2000.7.5

 まず一言。
 あのデモを見て、Kanonそっくりなんて抜かすヤツは、いっぺん出直して来いっ!

 思うに、同じ原画家が担当してる以上絵は似るだろうし、同じ会社のシステムなのだからプログラムも似てる。
 もちろん人物紹介が印象的なセリフ一言だったりするのもKanonと同じだが、それだけなら類似する予告など腐るほどある。
 まぁここをわざわざ覗くほどの人に、こんな前説は不要であろうとは思うが。

 普段ファンタジーなど縁のない私が語るのも何だが、ファンタジーが観客を騙せるかは、ひとえにその世界観の奥行きにかかっているはずだ。
 残念ながらKanonデモには、余りそういうものがなかった。それこそ、病弱な栞が「奇跡」を口にするなら、願うものが何であるかはあまりにも明瞭である。
 もちろん舞・真琴のセリフはそれなりに意味深なのだが、久弥系キャラと同一線上に並べられると生きてこない。いっそデモを二種類作った方が双方にとって良かったように思う(舞や真琴の問題にあゆを結びつけるという、一部にある「誤解」も防げただろうし)。

 今のところ、三人のセリフで一番気になるのはもちろん最後の一人ということになる。最初のセリフはややストレート過ぎて、発売前の一番人気ではあるが少々期待薄である。
 最後のセリフから想像されるのはやはり異界巡り。あるいは、スサノオが出会った櫛名田姫でも良い。
 問題は、誰と戦うか、であろう。そこは根の国、スサノオは神を殺した者…などと、そういう想像はやめておこう。

※事前予想については日記を併せて参照のこと。なお、私は冊子などからの予備知識なしで書いているので、通常に考えるなら読んでも安心だが、場合によっては致命的なネタバレとならないこともないのでご注意。

 ところで、改めて過去のデモを見てみると、ONEデモに違和感を覚える。
 要するに、完全な「日常/非日常」の二元論で、日常に残ることをテーマとしているようにしか見えないからだ。
 誰かこの点を指摘してた人がいるような気がするのだが、このデモと本編冒頭に断絶を見てもいいような気がする。「えいえん」から世界を変革する(もちろん実際には双方から働きかけなくてはいけないが)側を押し出さないと、あの設定が生きてこないように思うのだがね。
 …まぁ二年前のデモを今更直してもしょうがないが。

 やはりデモはMOON.が一番か。もちろんこれも、三人の少女の物語とだけ銘打つのはどうかとも思うし、あの一瞬立ちつくす少年の姿は、本編をやり終えないと生きてこないからデモの意味がないと言えなくもないけど。
 事前に見せられるデモとしてはAIRが一番だと思うので、まだ見てない人は早急に雑誌を買われることを奨める次第。
 
 


 AIR考察部屋にて考察は不定期継続中。
 DC版は発売されたが、別に声をどうこう取り上げるつもりもないのでここの更新は停止される。
 
 

 御意見・質問などありましたら芳名録へどうぞ。
 答えられるものこちらで補足します。


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