突発企画
西島・中泉・見付
NISHIJIMA/NAKAIZUMI/MITSUKE
 

2001.10.1



 
 
 
 


 「電車と車が並んで走るぅ〜、それを見おろす〜はしぃのぉうええ〜」と来れば誰もが思い出すあの歌!
 そう、西島三重子「千登世橋」である。数年前、「あの人は今」と探して見たら現役の歌手だったという、笑うに笑えないオチも記憶に新しいところ。
 読者としては「まづは池上線に乗るのが筋といふものぢゃないか」という不満もあることだろう。その辺はぐっとこらえ、白いハンカチを大事に抱え、いざ目白の街へ!

 まぁ、山手線である。目白を知らないという人はまさかいないだろうが、かといって普段から用のある人も少ないのではなかろうか(学習院とかは別として)。
 私も当然初めて。おそらくもう二度と来ることもないだろう(でもありうるかな)。緊張の面もちで(ちなみに、嘘である)駅に降り立つと、すぐに目白通りへ。嫌なことに、私は地図で主なチェックポイントはおさえてあるので、迷うこともなく進む。

 「あなたと歩いた目白の街は」、独りで歩いてもまぁ確かに風情はあるのだろう。もっとも、やはりどこか東京の匂いがする。…こう書いて伝わるか判らないが、お茶の水近辺や、昌平橋(中央線の起点は元々ここだった)辺りで感じるような、あるいは神楽坂の商店街でも感じるような、そんな匂い。
 どんなに緑があっても、違う気がする。流れる空気の違いを感じてしまうのか、あるいは「東京には空がない」(笑)からなのかは不明であるが。
 ともかく、まずは写真を撮る。恥ずかしい。観光客でも撮らない場所だ。

つまらぬものですが
 そして、しばし歩けば、瞼に浮かぶ母の姿…ではない。そうだ、「あなたがそっとさよならをつぶやいた」場所! そして、白いハンカチを落とした、僕ら(誰だ)の想い出の場所だ。ちとーせーばし
 今や文化財らしい千登世橋。正確には道路側が千登世橋、電車(都電)側は千登世小橋だが、そんな細かいことなどどうでもいい話。私はしばし、時の経つのを忘れた(これも嘘)。
 
 
























電車側の光景

 しかし、歌はともかく、現実に橋の下を見おろしても、残念ながら違和感ばかりが自分を襲う。車の排気ガス、汚れた歩道、そして感覚的な何か。
 幻想はいつかうち砕かれるものだという。あの歌を聴くと、私は何故か大学受験を思い出す。あれこれストーリーを載せているここでも、高校卒業に関わるものがないのは、あの頃の焦燥感を思い出したくないからだった。
 そんな昔とこれでおさらばだろうか。…いや、おそらく私はこの景色を忘れることだろう。

 既に終わった感があるけれど、話はまだ続く。そうである。「遠くで〜カテドラルの鐘〜」が残っている。
 遠くというだけあって、しばらく黙々と歩く。途中、某田中邸も通ったが、申し訳ないけれど、しばらく「あの」家とは気づかなかった。真紀子なんてどうでもいいし、今ほど「列島改造論」を口にし辛い時代もないのだ。
カテドラルの鐘 やがて、巨大結婚式場、椿山荘に到着。向かいに見えるのが、あのカテドラル教会だ。仕方ないので(何が)売店を覗いておいた。キリストはなぜ崇める対象となってしまったのだろう、とか色々疑問を覚えたが、些かここの主題を外れるだろうということで、割愛しておく。

 西島三重子、それは君の記憶の中で今も輝き続けるのだ(脈絡のない締め言葉)。
 


 
 
 日付が変わる。BGMには、出来れば五十嵐浩晃「ペガサスの朝」でも流してくれ(阿呆)。

 かつては、あの弥次さん喜多さんも訪れたという伝説の宿場といえば見付と相場は決まっている。
 今時はジュビロ何たらなどという軟弱な勢力に蹂躙されているが、今日は古のゆかしき姿を思い出させてやろうという企画…………などあってたまるか。
 個人的に縁のある土地ということで、一度天神に参ってみたいという、実に適当な道中(何せ計画立てたのが金曜の夜)だ。サッカーファンが見ても楽しめることであろう(しつこい)。

※ここからしばらく、当地におけるメモをイタリックで載せておくのでよろしく(だから何を)。

 現在、朝の九時過ぎである。
 そもそも、日曜の朝に何をしているのだ、という気分。頭痛が激しい。二日酔いである。

 とか言ってるうちに熱海。観光客らしき姿が多い。今更伊豆に何か魅力があるのか疑問だ、というのは余計なお世話であろう。
 さて、今日の旅は磐田行きだ。舞車の舞台を歩く…と言っても、知る者はいないだろう。能「舞車」は、そもそも今は廃曲なのだ。が、私とこの曲はちょっとした縁があり、見付の宿のことも調べたことがあった。
 今回は、土曜に所用があり、今日はただ帰るだけという極めてまれな機会だ。今こそ、というよりもたぶんこういう時でもなければ永遠に訪問のチャンスはなかろうということで、朝早く宿を出て、八時半には品川にいたわけだ。
 もっとも、二日酔いは改善のきざしが見られない。前途多難の中、列車は熱海を出発した。静岡までは一時間以上かかることだろう。
 

 結局、沼津の手前から寝てしまった私は、久々の駿河湾を記憶に留めることもなく(興津辺りで目は覚ました)静岡へ。
 機械的に乗り換えをこなす時間。かつては青春18きっぷで故郷へ帰った私であり、とりたてて苦痛ではないが、一度新幹線というものを知ってしまうと、なかなか出発までのふんぎりがつかないのも事実だった。
 だいいち、暑すぎるわけでもなく、寒くもない静岡というのは、中途半端で好きではないのだ(暴言)。ともあれ、だらだらと列車は大井川を越え、やがてかつての中泉駅こと磐田駅に到着した。

ジュビロードだってさ。
 所変わって、現在14:24分。場所は見付天神である。閉鎖された(もしかしたら今日がたまたまという可能性もあるが、日曜だし)売店の休憩スペースに陣取っている。
 残念なことに雨である。折りたたみ傘の備えはあったけれど、だからといって望ましいものではない。

 磐田駅に着いたのは12時29分。だからまる二時間経過している。その間、府八幡宮、国分寺跡を歴訪し、見付の宿を歩いてここに辿りついた。

府八幡宮
 府八幡宮は意外に面白く、祓所が二カ所、中でも社殿裏手の祓所は、見ようによっては見付側を見下ろす高台(ただし樹木があるので見はらしは良くない)と言え、直下には井戸がある。水に関わる祭礼を行う場所らしい。
これも国分寺の遺構らしい
 国分寺は、別に期待していたわけでもないが、素晴らしく期待はずれ。跡地はあくまで跡地に過ぎない。特に目新しいものとも言えないし、何より現在の「国分寺」は、気をつけないと通りすぎてしまうような場所なのだ。
ただの空き地
 ちなみに、公園として整備した際に、同時に作ったと思われる建物があったが閉じていた。もしかしたら資料館だったのかもしれない(※大きさから考えるとただの倉庫かも)

 見付の宿も、道路拡張のせいでそれらしい雰囲気は皆無といっていい。一応櫓灯籠風の明かりとか、歩道には装飾もあるけれど、街並がそれらしくなければしょうがない。
秋葉灯籠

 その中で写真に撮った秋葉灯籠はなかなか立派なものだった。明治のものだったが、ああいうものを並べるぐらいじゃないと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 天神は山の上にある。

登り口
 坂がしんどい(たいした距離ではないけど)。ニワトリが放し飼いになってるのがよろしい。かえって都会の神社ではなくなった景色だ(弥彦ほどワイルドではなかった)。
見付天神本殿
 神社もでかい。裸祭は二週間ほど前に終わったばかりのようだが、そういう残骸のようなものはなし。
 ちなみに、悉平太郎の三代目と称するお犬さまがおられた(駒ヶ根からおこしになったそうだ)。が、小屋の中で身じろぎもせず、およそ強そうな感じではない。まぁ、能ある鷹は爪を隠すそうだが。
よく見るとちょこんと顔を見せている
 ガイドを見ると、馬場町の裸男の群を「舞車」と呼ぶそうな。で、どうもそれがここから西にある総社と関係ありそうなので、そちらを探検して帰ることとする。ついでに旧見付学校の写真も撮ることだろう。
旧見付学校

 この後、一里塚に登り、総社と旧見付学校に向かう。旧見付学校は資料館になっていて(無料)、昔の学校に関する資料やら民具やらが置いてある。

日付に注目
 ちなみにこの写真、黒板の日付がちゃんと訪問当日になっている。意味もなく芸の細かい話(何しろ、現像された写真を見て初めて気づいたのだ)。
 残念ながら「舞車」と関連するものは何もなかったといっていい。旅人を捕まえて芸をさせるという、外来神の信仰の濃厚なこの祭が本当に行われていたのなら、それは非常な興味をそそるものだったのだが。
 最後におまけ。どっちにするんだ、コノヤロウ!!!
中泉ジュビロードだ、急げ若者!

 
 
 

あなたは二度と来ないのね